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「Modern Sadness / 仲良しバンド」Tシャツのご案内


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Modern Sadness / 仲良しバンド designed by Ryohei Kazumi

COLOR : BLUE / WHITE

SIZE : XS ~ XL

PRICE : 5,400 (tax in)



 Modern Sadnessは1977年の数ヶ月間だけ活動した5人組のコミックバンドである。

ミニアルバム「仲良しと夜明けの朝に」を発表し解散した。この「仲良しと夜明けの朝に」はカルト的人気を誇ったが、メンバーについての一切の情報がなく、解散済みを伝える手紙に添えられたデモテープを面白がったレコード会社が発売しただけで、バンドについての情報は長らく齎されなかったが、発表から25年後の2002年にマッドジャズの創始者であるアンディ桑原が自伝「曙光」において、自らがModern Sadnessのフロントマンであったことを認め、それまで謎に包まれていたバンド結成の秘話を語り、CD盤が発売されたことも手伝ってか広く周知されるに至った。

 今回は「曙光」を補助線としつつ、アンディ桑原にとってModern Sadnessとはなんだったのかを考えていきたい。桑原を知る読者諸兄においては退屈な回となってしまうかもしれないが、2010年代も後半に差し掛かる今こそ、若い世代に桑原が開拓したマッドジャズ、そしてその始まりであるModern Sadnessというバンドの存在を知ってもらうきっかけとなれば幸いである。


 アンディ桑原は青森の農家に5人兄弟の末っ子として生まれる。上の兄弟とは年が離れており溺愛されて育つが、生まれつき体が弱く、酷く内向きな性格だったことから父親のスパルタ教育によっていくつもの運動をさせられていたという。そんな桑原を見兼ねた祖父、彌次郎が自身の趣味でもあったサックスを勧めたことから、音楽にのめり込んでいく。桑原の代名詞であるマッドジャズはサックスの先に農作物を挿した演奏方法から、観客が野菜についた泥とその狂気染みたスタイルからつけたものである。使用する野菜は主に実家から時期に合わせた旬で新鮮なものを取り寄せており、野菜の出来に納得できず演奏を中止することもあり、農作物に対する並々ならぬ想いを持っている。[1]

ライブ終了後にはバンドメンバーや観客に、使用した野菜を使った料理を振舞う。

60本のゴボウをサックスに挿して演奏した89年の「根っこじゃないのよ米兵さん」を生涯ベストアクトのひとつとみる識者も多い。(Live In San Franciscoに収録)


 Modern Sadnessに話を戻そう。「仲良しと夜明けの朝に」発表の77年はピンク・レディーの躍進やキャンディーズの解散、プレスリーの死去といったトピックの中、ポピュラーミュージックは円熟を迎えファンクや、やがて来るディスコブームを待つ年でもある。桑原がマッドジャズとして人気を博すのが80年代の終わり頃であるため、この頃はアンダーグラウンド(土の中)で研鑽を積んでいた時期にあたり、その演奏スタイルも独特なものである。桑原のサックスに合わせてメンバー四人のおしゃべりが延々と流れ、その会話は取り止めがなく、会話が通じない箇所も多い。哀感を誘うサックスのメロディーラインがギャップを誘い、巷ではコミックバンドと分類されていた。特に紅一点である女性の甲高い声が特徴で、コアなファンからは「キャンちゃん」の名で親しまれていた。以下は、収録曲である。


Modern Sadness / 仲良しバンド

「仲良しと夜明けの朝に」

1 20時の時計台で

2 所詮愛して

3 君の陽炎

4 ぼくがいる

5 仲良しと夜明けの朝に


桑原の自伝「曙光」にてModern Sadness結成、解散の顛末、そして女性の声が亀倉サラ[2]であったことが語られている。その暴露とも取れる内容に怒り狂うファンも一定数いたそうだが、これぞ桑原と自伝発表後のライブツアーは完売が続いたそうである。その核心となる部分を桑原はこう述べている。


 サラと別れた後、俺は悲しみにくれ何もする気にならなかった。半年くらいは死んだように生きていた。でも、ある日サラがフルヌードジャズとかいうストリーキングに影響を受けた阿保なバンドを始めたと聞いて、馬鹿馬鹿しくなったんだ。そこから俺はサラのストリーキングを俺なりに解釈した曲を作ろうとしたんだ。俺たちが付き合った3年を乗り越えるためにも、そしてサラにだけ分かる決別のサインとしてな。あいつを丸裸にしてやろうって魂胆ももちろんあった。それで俺はサラと付き合っていた頃に内緒で録音していた会話を使って曲を作り始めたのさ。メンバー5人といっても実はサラ以外の声は全部俺の声なんだ。

(中略)若気の至りで作った曲だったが、楽しかったんだ。その頃からかな、

自分の内に眠る感情と向かい始めたのは。[3]

  

 自らの内に眠る狂気との付き合い方を模索始めたのがModern Sadnessの始まりであり、失意を癒す目的で作られたバンドであることが語られている。そしてバンドの名前とは裏腹にメンバー5人などおらず、たった独りで作り上げた決別の曲に「仲良しと夜明けの朝に」という皮肉の効いた題名をつけるという、この上なく泥臭くそして酷く歪んだ男の悲哀が見て取れる。今回紹介しているアートワークは桑原がデモテープとともにレコード会社に送ったものであり、オリジナルのジャケットにも採用されている。サラ以外のメンバーは顔が判別できないほどに歪み、怪物であるかのような顔のパーツが増殖したり、肥大している。桑原はModern Sadnessの音楽が酷く歪んだものであると心のどこかで理解していたのではないだろうか。その想いからあのアートワークを制作したのではないだろうか。残念ながら「曙光」にはアートワークについて語っている部分はなかったため、真実はわからない。だが、Modern Sadnessがアンディ桑原の原点かつ極北だったことは明白で、やがてマッドジャズを開拓する男の萌芽を感じることができるだろう。

 次回はModern Sadness後の桑原、昭和から平成への歩みに迫る。


[1] 1993年の冷夏によって引き起こされた米騒動の際にはタイ米の稲をサックスに挿して演奏し、

加熱するタイ米バッシングを批判した。

[2] 亀倉サラは日本のアーティスト。前衛芸術やフルクサスを独自に解釈し、

メンバー全員がフルヌードで演奏するストリーキングジャズキングを主宰。

[3] アンディ桑原「曙光」, 2002

第5章 仲良しバンドという出発点 P.167~168


texi by Takaaki Akaishi




数見くんと初めて会ったのは、数年前のギャラリートラックスだったと記憶している。五木田さんの個展で、鵜飼さんと五木田さんと一緒にトラックスに到着すると既にギャラリーにいた数見くんを五木田さんが紹介してくれた。当時五木田さんの所属するギャラリーでバイトをしていた数見くんはありがたいことにタコマのことを知ってくれて、その時をきっかけに面識を持つようになり、彼の主催する架空のミュージアムストア、ENTERTAINMENTのファンになった。SNSを通じて新作リリース情報を探し続け、ART BOOK FAIRまでプロダクトを購入しに足しげく通うこともあった。

そしてこのタイミングでTACOMA FUJI RECORDSから数見くんによるTシャツを正式リリースする運びとなりました。注目すべきはそのアートワークの強度とともに、狂気のレベルにまで昇華された赤石さんのテキストだ。こんなの勝てるわけがない。僕がやりたかったこと、やりたいことの更にずっと上をいくこの狂気の沙汰ですよこれは。


Uインターの如く革新的かつ武闘派。遂に引っ張り出せた彼らの新作Tシャツは

7月16日(日)20時頃よりHPにて販売開始予定です。





by tacomafuji | 2017-07-11 14:34 | TACOMA FUJI RECORDS
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